• pinit_fg_en_rect_gray_20.png
  • LINEで送る

南極料理人 映画『南極料理人』でおなじみの南極料理人、西村 淳さんによるおもしろくて、ためになる冷凍コラムをお届けするよ。

家族は遥か 15,000Km 2

特に1回目に参加した30次隊の時は、「昭和基地」で越冬したのだが、名前こそ知っていたものの現実感はまことに乏しく、本当に不安で胸が一杯だった。

そして昭和基地での越冬が始まったのだが、2月1日に越冬隊の引き継ぎが終わり、狭いながらも(三畳ほどの広さ)個室に引き上げドアをパタリと閉めた時に一気に寂しさがこみ上げ、荷物の整理なんかは後回しにして、家族の写真を引っ張り出して数時間食い入るように見てしまった。

この写真は部屋に貼り付け、一年間の越冬時にはお守りとして毎日話しかけていたのだが、本当に心のバランスをとるのに役だってくれた。

【お守り写真】

【3歳の娘・・・友花】

【なぜか左の人形はお父さんと言われていたとか(^^;)】

【真冬に送られてきた写真です(T_T)】

【懐かしい今は亡き愛犬リッキーと・・・】

言い方を変えると、戦地に赴く(おもむく)兵士が、遠い祖国の家族を想う気持ちに似ていたのかもしれない。南極・越冬・帰国は再来年・・・なんて未知体験が、団体で押し寄せたことはこれまで無かったので、とにかく帰国を指折り数えて待っていた。ただし、嫌だったのかと言われると、決してそんなことはなく、男ばかりの生活はそれなりに楽しかったが、帰国を待っていてくれる家族がいたせいだと本当に思っている。少しごますっているかな?

2回目に赴いたドーム基地での越冬生活は、自然環境が「昭和基地」とは問題にならないほど厳しく、経験者と言うこともありとにかく楽しく、無事に、みんな揃って帰国することをテーマにしていたので、個室にこもって家族を思うなんてことは皆無だった。

なにせ、平均気温―57℃ 最低気温―80℃ 標高3800メートルである。

もちろん基地内は19℃の快適な室温に保たれているのだが、それでも一歩外に出ると白い地獄・白い砂漠が広がり、生物の存在は皆無。ウイルスさえも生存不可能な場所である。そこで一年間飯を作れというのだから、いくら仕事とは言え途方に暮れることもしばしであった。地球にあまり存在しない超低温の世界で延々と続く種々の観測活動。当然人手不足であり、部門を問わずそれらに協力しなくては観測生活はなりたたない。その合間に建物に駆けつけ、羽毛服を脱ぎ捨てて調理をするのだが、「いったい何を食わせたら、この環境で生存していくことができるんだ?」と、日々葛藤していた・・・ホントニサ。

もちろん隊員諸氏は、手抜き料理といえども美味しそうにパクパクモクモク食べてはくれたのだが、「本当に美味いのかおまえさん達??」と疑心暗鬼にとらわれていたのも事実である。これは共稼ぎをしている家族がいたとして、しかもその家族がとても良い人達で、忙しい仕事をこなし食事作りに時間をかけられないお母さんが作った料理を美味しそうに食べてくれるのを見て、心の中で「すまんねえ」とペコリと小さく頭を下げてしまう情景にあるいは似ているのかもしれない。

「南極料理人」って? どんなひと? どんな仕事?開閉ボタン

西村淳(にしむらじゅん)著書『面白南極料理人』

西村淳(にしむらじゅん)
1952年、北海道生まれ。作家兼料理人。

海上保安学校を卒業し、巡視船勤務の海上保安官となる。そして二度の「南極観測隊」に参加。

一度目は「昭和基地」、二度目は「ドームふじ基地」で越冬する。隊員たちの食事まわりすべてのことを担当する「調理隊員」という肩書きの一方で、通信・雪上車、車両メンテナンス・観測気球打ち上げのサポート、氷サンプリングのサポート、チェーンソーマン、大工、ボイラーメンテナンス、野外観測旅行のナビゲーター、雪穴堀り、燃料輸送・・・など、氷点下の世界でさまざまな仕事をこなす。

巡視船の教官兼主任主計士として海猿のタマゴたちを教えたあと、2009年に退職。同年、自身のエッセーが『南極料理人』として映画化された。主演は、堺雅人。現在は、講演会、料理講習会、テレビ、ラジオ、執筆などで活躍中。著書に『面白南極料理人』『いい加減は良い加減 -南極料理人のレシピ&ひとりごと-』などがある。

  • この記事をシェアする
  • pinit_fg_en_rect_gray_20.png
  • LINEで送る
トップへ戻る