冷凍食品 100周年特集 ~冷凍食品の歩み~
1920年、北海道森町に日産10トンの水産物を凍結する能力をもつ、日本で初めての本格的な冷蔵庫が建設されました。2020年は、それから100年目に当たります。
冷凍食品100周年を記念し、これまでの冷凍食品の歩みを振り返ります!
冷凍食品
100年の歩み
- 冷凍食品の歴史
- そのころの出来事
黎明期
わたしたちの暮らしや食生活の変化により、今なお発展を続けている冷凍食品。日本の冷凍食品のはじまりは古く、100年前に遡ります。
冷凍技術の黎明期は、魚の凍結から始まり、戦後の食糧不足や東京五輪を経て、高度経済成長期の「三種の神器」のひとつ、冷蔵庫の普及と共に発展していきます。この頃、冷凍食品は油調品(冷凍コロッケは自分で揚げる、等)が主流で、家庭で食卓を囲むことが多い時代であったことから、おかずとしてよく食べられ、五大調理冷凍食品(コロッケ、ハンバーグ、シュウマイ、ギョウザ、えびフライ)が市場に定着していきます。
日本で最初の冷凍事業の始まり
食品の冷凍は魚から。
日本で初めて葛原猪平氏が本格的な水産物の凍結を試み、水産物冷凍の基礎を築く。そして、1920年に日産10トンの凍結能力の冷凍庫を北海道森町に葛原商会(現ニチレイフーズ 森工場)が建設。これが、日本の冷凍食品事業の始まりである。
世界恐慌
調理冷凍食品の始まり
「ホームミート」「ホームシチュー」を東京・日本橋の白木屋デパート(現東急百貨店)で日本冷蔵(現ニチレイフーズ)が試売。
日本冷蔵が冷凍みかんを米国に輸出
凍果ジュース人気・冷凍食品売り場設置
渋谷・東横百貨店で日本冷蔵の「ブルブルジュース(凍果ジュース)」が人気に。
そして、東京・池袋の西武百貨店、渋谷の東横百貨店が「冷凍食品売り場」を設置。
南極観測船「宗谷」の食事に冷凍食品が採用される
南極観測船「宗谷」に70種類、約20トンの冷凍食品が越冬用食料として積み込まれる。船内食、基地隊員の食事に冷凍食品が採用。
1957年(昭和32年)に戦後初めて日本から南極観測隊が派遣され、観測船「宗谷」に越冬用食料として、えび、ほたて、あじ、ほうれん草、枝豆、漬物、茶わん蒸し、みかんなど約70種類の冷凍食品が積み込まれました。
南極は氷の国だから、野外に放りだしておけば、食料は腐らないと思われがちで、準備委員会も冷凍庫の準備をしていなかったそうです。そのため越冬生活を始めた第1次越冬隊は、棚氷(陸上から海上にのびている氷)に掘った穴に冷凍食品を保存した、それがこの写真です。
なお、当時の日本では冷蔵庫は普及しておらず、冷凍食品のほとんどは業務用でしたが、第1次南極観測隊が冷凍食品を採用したことをきっかけに、冷凍食品が普及していきました。
画像提供:株式会社ニチレイフーズ
業務用電子レンジが発売
フリーザ―付冷蔵庫が発売
ダイエー三宮1号店に冷凍食品売り場を設置(スーパー初)
ダイエー三宮店は、スーパーで初となる冷凍食品売り場を開設。翌1964年には日本で初めて冷凍オープン・ショーケースの売り場を設置した。
※ 画像はイメージです
東京五輪、選手村食堂のメニュー試食会で冷凍食品が使われる
東京五輪の選手村食堂で冷凍食品が好評。注目され、急速に拡大
東京オリンピック選手村の食堂でさまざまな冷凍食品が利用され好評。このことをきっかけにホテルやレストランで利用され、冷凍食品が急速に拡大。
世界各地から集まるおよそ7000人の選手団に対し、選手村でとる食事を提供するのは開催国の慣例です。そのため、大会期間中、選手村では延べ60万食にのぼる選手向けの食事の食材調達が必要でした。しかし、それだけの食材を大会期間中、一気に購入すると、都内の食材価格が高騰し、都民の生活に大きな影響が出てしまいます。
この課題に対し、帝国ホテルの村上信夫シェフは解決策を模索します。そこで、大会まで膨大な食材を確保し、価格高騰を抑え、食堂を効率よく運用できる冷凍食品を採用します。
しかし、当時は野菜などを冷凍して使うと、食感が悪かったり、水っぽかったりと、とても選手に出せるものではありませんでした。村上シェフは、日本冷蔵株式会社(現ニチレイフーズ)の協力を経て研究を重ね、食材によって冷凍と解凍の技術を使い分け、味を損ねることなく保存することに成功します。
1963年8月に開催された「試食会」では、生鮮から作ったメニュー、冷凍食品を活用したメニューを混在させて出したそうですが、選定を行った、当時のオリンピック担当大臣、佐藤栄作氏らに「これはうまい!実にうまい!」とすべての料理が高く評価され、冷凍食材の使用が認められました。
こうして東京五輪の選手村では、各国別の料理など、多彩なメニューの提供を可能にした冷凍食品が大活躍。世界の選手に絶賛されたそうです。
東京五輪における冷凍食品の活躍は、冷凍食品の歴史の中で欠かせない大きな出来事のひとつといえます。
画像提供:株式会社ニチレイフーズ、帝国ホテル 社史より
科学技術庁資源調査会からコールドチェーン勧告が出される
桜エビを使った「磯の香フライ」学校給食でヒット
冷蔵庫の普及率50%を超える
高度経済成長期、「三種の神器」のひとつである冷蔵庫が急激に普及。家庭用冷凍食品が受け入れられるように。
この頃の冷蔵庫は、冷凍食品が保存できるフリーザー付きの冷凍冷蔵庫(1ドアタイプ)や冷凍庫の霜を自動で取り除く、自動霜取り方式が主流。翌年に冷凍室を独立させた2ドアタイプが普及し始める。
家庭用電子レンジ発売
これまで業務用の高価で巨大な製品しかなかった電子レンジだが、1966年に家庭用ターンテーブル式レンジが発売。しかし当時は非常に高価だったため、一般家庭に普及が始まるのは1970年以降となる。
冷凍クリームコロッケが発売、そして五大調理冷凍食品が市場に定着
冷蔵庫の普及率が50%を超えたことに加え、大型スーパーの全国的な広がりや外食産業の発展等により、冷凍食品の需要が急上昇。コロッケ、ハンバーグ、シュウマイ、ギョウザ、えびフライの五大調理冷凍食品が市場に定着し、現在の冷凍食品の原型が固まった。
成長期
黎明期を経て、冷凍食品の本格的な普及が始まります。
物流ネットワーク(低温流通体系確立のためのいわゆる「コールドチェーン勧告」)をはじめ、(社)日本冷凍食品協会の設立、冷凍食品の管理温度設定など、冷凍食品の普及を支える基盤ができてきたのが、この時期です。
また、ファストフードやコンビニエンスストアが次々にオープンし、定着しはじめます。これに伴い手軽に食べられる軽食・おやつのカテゴリーの冷凍食品が発売されました。そして、外で働く女性が増えたことにより、手軽に解凍・調理ができる電子レンジ対応の商品が発売されていきます。
(社)日本冷凍食品協会設立、日本の冷凍食品生産量が10万トンを超える
冷凍食品の普及を推進するため、社団法人日本冷凍食品協会が設立。また1965年の冷凍食品の生産量は2万余トンを境に、年率30%以上の対前年の伸び率を示し、1969年には10万トンを超えた。
アポロ11号 月面着陸
大阪万博で冷凍食品が力を発揮、外食産業への展開の契機に
冷凍食品が大阪万博会場内のレストラン、日本初上陸のファストフード店などで活用され、冷凍食品の力が認知される。これを機に外食産業のチェーン化に無くてはならない食材として冷凍食品がクローズアップされる。
マクドナルド1号店オープン。
冷凍フライドポテトが一般家庭へ定着するきっかけに
マクドナルド1号店銀座にオープン。「マックフライ」の人気が冷凍フライドポテトの一般家庭への定着のきっかけとなる。
冷凍食品の管理温度を「マイナス18度以下」に設定
「冷凍食品自主的取扱基準」において冷凍食品の配送・小売段階の管理温度を、品質を維持するため食品衛生法の規格であるマイナス15度以下より厳しい「マイナス18度以下」に設定。なお、後の1976年には国際的な基準であるコーデックスにおいても、マイナス18度以下に設定された。
10月18日を「冷凍食品の日」に制定、初の特別事業イベント「10,000人の大試食会」開催
(社)日本冷凍食品協会は、10月は食欲の秋であり、冷凍(レイトウ)のトウ(10)につながることと、冷凍食品の世界共通の管理温度マイナス18℃以下から10月18日を「冷凍食品の日」に制定。また、東京・恵比寿で「冷凍食品10,000人の大試食会」を初の事業イベントとして開催した。
まだあまり冷凍食品になじみがない頃、冷凍食品の種類の豊富さ、おいしさを知ってもらうため、(社)日本冷凍食品協会は、東京・渋谷区のサッポロビヤステーション恵比寿で「冷凍食品10,000人の大試食会」を行いました。
約70名のシェフが和・洋・中・デザートなどの135品目、約4トンの冷凍食品を調理。抽選による招待客とメディアの記者などに試食を提供し、イベントは大盛況に終わりました。
この大試食会が「冷凍食品の日」のイベントとして記念すべき第1回となりました。
日本の冷凍食品生産量が100万トンを超え、国民1人当たりの冷凍食品消費量は10.8kgに
女性の社会進出や単身世帯数の増加を背景に、食の外部化が進み、業務用の「中食(惣菜)」の需要増が追い風となり、日本の冷凍食品生産量は100万トンという大台を超える。
国民1人当たりの冷凍食品消費量は、(社)日本冷凍食品協会発足の1969年の国民1人当たりの冷凍食品消費量は1.2kgから10.8kgとおよそ10倍に。
- 冷凍食品国内消費量 = 国内生産量 + 調理冷凍食品輸入量 + 冷凍野菜輸入量
- 1996年まで未調査の為、消費量に調理冷凍食品輸入量は含まれておりません。
電子レンジ用フライのはじまりである、電子レンジ対応のコロッケ発売
これまで冷凍コロッケといえば、油で揚げるタイプのみ。油を使って揚げ物をするのは面倒という意見から、これまでの常識を覆す電子レンジ対応のコロッケが発売。お弁当用の冷凍食品が広まる。
成熟期
冷凍食品は人々の暮らしに定着しましたが、女性の社会進出はますます進み、少子高齢化、核家族化、単身世帯やシニア世帯の増加など人々のライフスタイルは多様化しました。特に食事は各自でとる「個食化」が進み、主食となるカテゴリーの冷凍食品が増えていきます。
さらに、年々求められる水準も高くなり、冷凍食品メーカーは日々品質と味の向上を図り、人々のライフスタイルに合わせて、電子レンジ対応商品や自然解凍冷凍食品など新製品を発売。このように、冷凍食品は時代背景とともに日々進化をし続けています。
自然解凍の調理冷凍食品発売
この頃の調理済み冷凍食品は、油で揚げるタイプからオーブントースターや電子レンジで加熱する、より簡単な調理方法の商品が増えていた時代。さらに簡便な調理として、食べるまでに器具もエネルギーも使わない『自然解凍』の調理冷凍食品が発売された。
中国産冷凍餃子中毒事件が発覚
2008年1月、中国の天洋食品で委託製造された餃子製品による中毒事件が発覚しました。
この事件は、後に個人による犯罪と判明しましたが、冷凍食品全体の需要に大打撃を与え、中国産食品・原料の忌避の機運が高まるなど、消費者の食品業界に対する信頼を大きく損ねることとなりました。
そのため、冷凍食品メーカーは安全の確保や、トレーサビリティ・原料原産地表示を徹底したほか、(社)日本冷凍食品協会では、「冷凍食品認定制度」の認定基準に食品防御や危機管理に関する内容を加えるなど、安全性の強化に努めました。
このような食の安全に関する積極的な取組により、徐々に冷凍食品市場は信頼を回復し、事件前を上回る水準で推移しています。また、日本冷凍食品協会は、その後も継続的に認定基準の見直しを行っており、より高い水準の品質管理を目指しています。
炒飯戦争が勃発
この頃から主要冷凍食品メーカーがこぞって冷凍炒飯の新商品、リニューアル品を発売。「炒飯戦争」と呼ばれ、冷凍米飯市場の拡大の契機に。
かつては、コロッケやハンバーグ、エビフライなどのおかず製品が冷凍食品の中心でしたが、現在では主食やデザートなど色々なカテゴリーの製品が増えてきました。その中で、炒飯も、 うどん、パスタ、焼おにぎりなどと同じ主食系冷凍食品として、家庭での食卓利用が広がっています。
また、単身世帯の増加や、シニアや男性が冷凍食品を購入する機会が増えたことにより、昼食・夕食で冷凍食品を活用する場面が増えたことも、冷凍炒飯市場の拡大の要因となりました。
そして、最も重要なのは、冷凍食品メーカーの技術の向上です。各社独自の工夫によって、冷凍食品のおいしさは日々進化しています。
日本の冷凍食品生産量が160万トンを超え、過去最高に
冷凍鶏のから揚げ市場が大きく伸長
日本の国民1人当たりの冷凍食品の消費量が、22.9kg (約92食※) と過去最高に
成熟期といえる時代に突入した冷凍食品。
国民1人当たりの冷凍食品消費量は、(社)日本冷凍食品協会発足の1969年の1.2kgから、およそ50年で約19倍の22.9kgと過去最高を記録。
- 一食当たり 250g 換算
(一社)日本冷凍食品協会 創立 50周年
冷凍食品100周年
1920年、日本で初めての本格的な冷蔵庫が建設されてから2020年で「冷凍食品100周年」。今後の人々の暮らしやニーズの変化に合わせ、未来に向けて冷凍食品の更なる発展はこれからも続いていく。
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(一社)日本冷凍食品協会による、冷凍食品情報サイト。アレンジや保存方法など、知っているとちょっと差がつくコツをプロが教えます。
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